コレクション
その16 水原茂の慶大時代のユニフォーム
今年80周年を迎えた東京六大学の秋季リーグもたけなわだが、今回紹介するのは、のちに巨人で選手・監督として活躍する水原茂が6年間在籍した慶大時代の最終学年時に着用していたユニフォームである。素材はフラノ(フランネルの一種)。いまのメッシュ地のユニフォームと比較するとかなり厚手で重いが、当時としては高級な生地。袖が長いのも特徴だ。
戦前のまだ職業野球(プロ)が誕生していない時期、早慶を中心に1925年秋に誕生した六大学が、日本野球の人気、実力ともに最高峰だった。超満員の観衆がスタンドを埋め尽くし、人々を熱狂の渦に巻き込む。慶大の三塁手・水原の人気もバツグンで、銀座の大通りを歩く水原を、多くの女性たちが道を挟んで遠巻きに追いかけたという話も残っているほどだ。
そんな六大学の〝熱狂″が生み出したのが「リンゴ事件」だ。春に1回戦、秋に2、3回戦を行う1シーズン制で行われていた33年(昭和8年)、1勝1敗で迎えた早慶3回戦。8対7と早大リードで迎えた9回表、三塁側早大応援席から投げ込まれたリンゴのかけらを、三塁手の水原が投げ返したことが発端だった。その裏慶大に逆転負けを喫し憤慨した早大応援団が、水原の行為を非難して慶大側と衝突。収束まで1カ月も要する大事件にまで発展した。だが、水原は″投げ返した″のではない。「果物の食いかけが足元に転がってきて、(プレーに差し支えるため)守備の姿勢のまま手を逆に壁の方へ投げ捨てた。これが果たしてリンゴであったかも分からない」と後年語っている。些細(ささい)なことが発火点となる。それほどのエネルギーが当時の神宮には満ちあふれていた。
現在、早慶戦は早大が一塁側、慶大が三塁側と分けられているが、「この事件がきっかけでスタンドを完全に2つに分けたと思う」と連盟ゼネラルディレクター・長船騏郎氏。これも〝熱狂〝の産物だ。
(文責=編集部)
掲載号/週刊ベースボール 2005年10月17日発行 第45号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま掲載しています。記録等は掲載当時の情報に基づいています。また、会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。