殿堂
藤本 定義(ふじもと さだよし)
29年で5球団を指揮した名監督
松山商、早大の投手として活躍。又勝れた指導力で中等学校や実業団の強チームを育成した。昭和11年、巨人軍の監督となって同軍不動の地位を築き上げ、多くの俊英を育てて、プロ野球隆盛に貢献した。戦後も太陽、金星、大映、阪急、阪神各球団を指揮し、名実兼備の大監督とうたわれ、50年にわたって野球界につくした功績は誠に偉大である。
表彰年/区分 | 1974年/競技者 |
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生年月日 | 1904年12月20日 |
没年月日 | 1981年2月18日 |
出身地 | 愛媛県 |
出身校(高校、大学) | 松山商業→早稲田大 |
社会人野球 在籍チーム | 大阪鉄道局吹田、全大宮(監督) |
プロ野球 監督歴 | 巨人(1936~42年)、パシフィック(46年)、太陽(47年)、金星(48年)、大映(49~56年)、阪急(57~59年)、阪神(61~68年) |