殿堂
正岡 子規(まさおか しき)
野球を愛した明治の俳人・歌人
明治17年、東京大学予備門時代にベースボールを知り、野球に熱中したといわれる。22年7月には、郷里の松山にバットとボールを持ち帰り、松山中学の生徒らにベースボールを教えた。23年2月、『筆まかせ』の雅号の項に「野球」が初めて見られ、幼名「升」から(のぼーる)と読ませている。29年には「日本」新聞に連載された『松蘿玉液』の中で野球のルール、用具、方法などについてくわしく解説している。野球を詠んだ短歌、俳句も数多く見られ、新聞や自分の作品の中で紹介し、野球の普及に多大な貢献をした。「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」「今やかの三つのベースに人満ちてそヾろに胸の打ち騒ぐかな」
表彰年/区分 | 2002年/特別(新世紀) |
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生年月日 | 1867年10月14日 |
没年月日 | 1902年9月19日 |
出身地 | 愛媛県 |
出身校(高校、大学) | 松山中学→東京大学予備門→帝国大学文科大学 |