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コレクション

その14 藤本英雄 完全試合記念楯

西武・西口文也は8月27日の楽天戦(インボイス)で9回パーフェクトに抑えながらも、延長10回にヒットを許した。1994年の巨人・槙原寛己以来11年も達成されていない、決して実力だけでは成し遂げられない困難な記録である「完全試合」。50年6月28日、青森市営球場での西日本パイレーツ戦で日本初の完全試合を成し遂げた巨人・藤本英雄も当時のベースボール・マガジンでこう語っている。「力の問題じゃなくて、運、偶然ですね。偶然が、僕にぶつかったというだけのことです。」

今回紹介するのはその藤本の大記録を記念する楯(たて)だ。夕方4時14分に始まったこの試合、最大の武器・スライダーを狙う相手をシュートでかわして抑え込んだ藤本は、わずか92球、1時間19分という短時間で日本初のレコードを打ち立てた。もちろん、初の記録だからそれを示す用語もない。アメリカでは「パーフェクト・ゲーム」ということが分かり、「完全試合」と直訳された。

「偶然がぶつかった」と言う藤本の言葉は確かに正しい。この日、先発するはずだった中尾碩志が、北海道から青森へ渡る連絡船の中で寝冷えし腹を壊して投げられなくなった。そこで、急きょ藤本に白羽の矢が立ったのだ。ところがもともと登板予定のなかった藤本は、前夜、川上哲治、青田昇、監督の水原茂と徹夜マージャンに興じていた。「後ろでワシが大声を出してやらんと、立ったまま寝てしまうんやないかと思うぐらい(の状態)」と、二塁を守っていた千葉茂は後年そう振り返っている。

そんな藤本を援護したのが味方の好守だった。特に千葉ら内野陣は、でこぼこのグラウンド状態の中で11個ものゴロをきっちりとさばいた。この記録は藤本だけではなく、野手にとっての勲章でもあったのだ。

最後にもうひとつ〝偶然〝を。巨人で完全試合を達成しているのは藤本と槙原の2人だが、ともに背番号は「17」だった。現在、巨人でその番号を背負うのは高橋尚成だが……、果たして?

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2005年10月3日発行 第43号
取材協力/財団法人野球体育博物館

※記事は掲載時のまま掲載しています。記録等は掲載当時の情報に基づいています。また、会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。

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