殿堂
2022年 野球殿堂入り発表 髙津臣吾氏、山本昌氏、松前重義氏が殿堂入り!
公益財団法人 野球殿堂博物館は、2022年1月14日、「2022年 野球殿堂入り通知式」を開催し、3氏の野球殿堂入りを発表しました。
競技者表彰委員会・プレーヤー表彰から髙津臣吾氏と山本昌氏が、特別表彰委員会から、松前重義氏が新たに殿堂入りとなりました。
→開票結果(第62回競技者表彰委員会プレーヤー表彰開票結果.pdf)
これで野球殿堂入りされた方は212名となりました。
なお、競技者表彰委員会・エキスパート表彰は、当選に必要な得票数を満たした候補者がおらず、該当者なしとなりました。
→開票結果(第62回競技者表彰委員会エキスパート表彰開票結果.pdf)
2022年野球殿堂入り表彰式の日程は、後日発表いたします。
髙津 臣吾氏
広島工、亜細亜大を経て1990年ドラフト3位でヤクルトに入団。3年目の93年から抑えに定着すると、以降、ヤクルトの守護神として最優秀救援投手を4回獲得し、93、95、97、2001年の日本一に貢献。03年には、当時の通算最多セーブ記録を更新した。04年にホワイトソックスに入団すると、同年19セーブを挙げる活躍を見せた。06年、ヤクルトに復帰し、日米通算300セーブを達成。以後、韓国、台湾、独立リーグなどでもプレーした。引退後は、ヤクルトのコーチ、2軍監督を歴任、20年より監督を務め、21年にはチームを20年ぶりの日本一へ導いた。
→詳細プロフィール(PDF)
写真提供 ベースボール・マガジン社
山本昌 氏
ドラゴンズ一筋32年の左腕。1983年ドラフト5位で入団。88年、米国フロリダ州ベロビーチへの野球留学で習得したスクリューボールを武器に初勝利をあげる。93年には17勝を挙げ最多勝利、最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得。翌年も最多勝利のタイトルを獲得し、沢村賞を受賞した。97年には初の開幕投手を務め、18勝で最多勝利、159奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得。2006年には史上最年長(41歳1か月)でノーヒットノーランを達成、11勝を挙げリーグ優勝に貢献した。08年には通算200勝、14年には史上最年長(49歳0か月)勝利を達成。15年、引退表明後の最終登板で、史上初めて50代(50歳1か月)での登板を記録した。
→詳細プロフィール(PDF)
写真提供 ベースボール・マガジン社
松前 重義 氏
1942年に学園創立、46年に旧制東海大学、50年に新制東海大学を開校。52年より理事長、学長、総長など要職を歴任。51年武蔵野グリーンパーク(東京スタディアム)を開設した。64年東海大学をはじめとする7大学で首都大学野球連盟を設立し、初代会長に就任した。ソ連(現ロシア)など社会主義諸国との民間外交にも積極的に取り組み、モスクワ大学にソ連初の野球場となる松前記念スタジアムを寄贈するなど、野球の国際化に尽力した。日本高等学校野球連盟最高顧問や、全日本大学野球連盟副会長、日本学生野球協会副会長など要職を歴任した。
→詳細プロフィール(PDF)
写真提供 東海大学
●2021年 野球殿堂入り通知式 動画